Innovation Case Study 03 Hokkaido Sports Festival

Case Study

新しいスポーツカルチャーを生み出す
「ほっかいどう大運動会」

全国でも類を見ない規模・スキームの市民参加型スポーツフェスティバル「ほっかいどう大運動会」。2019年に産声を上げ、今回が2回目の開催となりました。新たな試みをどうやって実現させたのか、その秘密に迫ります。

スポーツはみんなのもの。
今までの「運動会」とは全く違うイベントに

國分 「ほっかいどう大運動会」は、2017年の北海道新聞社創刊75周年の際に行われたスポーツ応援宣言の理念「スポーツのチカラで北海道を元気に」を具現化するため、2019年に誕生しました。

天崎 2回目の今回も大勢の「市民アスリート」の皆さんにご参加いただきました。スポーツと言えばプロ球団やトップアスリート等のハイレベルな競技の世界を連想しがちですが、本来、スポーツは競技のレベルによらずさまざまな形で関われて、楽しめるものだと思うんです。このイベントの原点は、「スポーツはみんなのものである」ことを共有したいという思いでした。そして、「見る」だけでなく、「する」「支える」も含めた新しいスポーツカルチャーを育んでいきたいと考えました。

棚橋 運動会と言っても、誰もが思い浮かべる学校の運動会とはまるで違うイベントですよね。実はいま、企業・組織の一体感醸成や健康増進など、社会の問題解決策として「運動会」が注目されています。国内に限らず、日本独自の文化の「運動会」が「Undokai」として海外にも広がっています。まさに注目のイベントだといえると思います。

全てをゼロから。全員が複数のタスクを同時進行

天崎 私の役目は、全てをゼロからカタチにしていくことでした。泥水を飲む係とも言いますね(笑)。事業骨子の企画立案から運営計画の策定、関係各所との折衝・調整作業、各種イベントコンテンツの企画・演出・進行、当日の来場促進のための広報・集客施策、競技参加エントリーや協賛企業集めのための仕組みづくりなどなど、とにかくレールを敷きまくっていた感じです(笑)

棚橋 私は2回目の今回から本格的にメンバーに加わりました。天崎さんと同じプロモーション局ですが、私は協賛セールスをメインに担当しました。選手の方の参加料だけですべての経費を賄えるわけではないので、事業の趣旨に賛同いただけるスポンサーを募ることが必要です。そのタスクを主催者である北海道新聞社と協業で担いました。具体的には、協賛メリットの洗い出し、プラチナ・ゴールドなど協賛カテゴリーで構成される事業スキームの構築、セールスシート作成と実際のセールス活動、協賛決定後には権益が行使されているかのスケジュール管理、大会当日は会場でのスポンサー対応など、多岐に渡る業務がありました。

國分 私は主催者(実行委員会)である北海道新聞社のメディア担当として、新聞企画に関わる部分や当日の新聞社、テレビなどメディア各社の取材対応をしました。

参加エントリー開始6日後に起きた
北海道胆振東部地震

國分 第1回はとにかく大変でしたね。何しろ、運動会の基本である競技種目を決めるのも手探りです。試行錯誤の結果、北海道和寒町発祥のスポーツ玉入れ「AJTA(アジャタ)」や、厚真町で生まれた綱引き「あつま国際雪上3本引き」の屋内版といったユニークな競技、運動会の定番「大縄跳び」、札幌ドーム館内の特設コースを走るファンラン「スタジアムラン・リレー」などを取り入れました。さらに、ウィンタースポーツ、パラスポーツ、北海道ゆかりのスポーツなどさまざまなスポーツの魅力に触れられる体験コーナーなど、各種コンテンツをミックスした新しいカタチのイベントを立ち上げていきました。

天崎 全国的にも類を見ない新しいイベントだったので、実はプロジェクトメンバーでさえもなかなかイメージが湧かない状態からのスタートでした。最初は本当に成立・実現するのだろうか?とみんな半信半疑だったんじゃないかと思います。一歩間違えれば失敗や赤字になりかねないので、前例がなく手探りで進めなければならないことは正直かなりのプレッシャーでもありました。

國分 競技参加エントリーを開始してから6日後に、北海道胆振東部地震が起きました。甚大な被害を受けた厚真町にも「3本綱引き」の競技で協力をいただいていましたし、参加者のみなさんもそれどころではないのではないかという懸念もあり、イベント開催自体をどうするか判断を迫られました。

天崎 一旦はイベント開催自体が難しい状況に追い込まれましたが、参加料の全額を震災復興のチャリティとするという方針を早期に打ち出してリスタートしたことで、イベントの開催意義がより明確になりました。その結果、多くの方々の支えを得て、無事開催にこぎつけることができました。

國分 チャリティ(義援金の寄付)の他にも、被災した東胆振地区の特産品をはじめとした物産コーナーも会場に設けることで、「買うこと」「食べること」で被災地の支援につなげるといった取り組みも行いました。被災地への想いを届けようという皆さんの思いが結集し、心配していた参加数も伸びていきました。

天崎 イベントの理念やビジョンをプロジェクトメンバーや協賛企業と分かち合い、ともに頑張れたことで想像以上の一体感が生まれました。そのことが、事業実現・成功に向けた強力な推進力になったと思います。

誰も見たことがなかった“新しい景色”をつくる

棚橋 第2回から本格的にチームに入った私は、成功した第1回を受けて第2回目をどんなイベントにしていくか議論したことが特に印象に残っています。実際の業務では、各スポンサーの本業とイベントのマッチングを考え、独自のメリットを創出することに難しさもありましたが、やり遂げて大きな達成感もありました。

國分 札幌ドームという場で大規模イベントを立ち上げる醍醐味を味わうことができました。また、参加者が本気で汗をかいている姿、真剣な表情や笑顔を見て、このプロジェクトのやりがいを感じました。

天崎 スポーツの語源がdisport(余暇・気晴らし)とされているように、スポーツには元来、楽しむことや自ら主体的に参加するものという意味が込められているといいます。参加してくださった市民アスリートたちの光景をみて、今までの日本の「スポーツ=体育・運動」というイメージから脱却し、本来の「楽しむこと」を含めた新しいスポーツ文化を発信する第一歩を踏み出せたのではないか、という手応えを感じました。札幌は1972年に開かれたアジア初の冬季オリンピックとともに成長・発展したまち。野球、サッカー、バスケットボール、フットサルなどプロ球団の活躍をはじめ、ウィンタースポーツも盛んです。そして、北海道はオリンピック金メダリストを日本で最も多く輩出しています。まさにスポーツの大地である北海道・札幌から、このような新しいスポーツ観を具現化・発信・共有していきたい。そしてその新しい風はきっと世の中をもっとポジティブな社会に変えていくパワーを持っているんじゃないかと思っています。

  • ほっかいどう大運動会 配布物